「あ、グリムジョー様!!」
グリムジョーに向けるの表情はとても柔らかく、その眼差しは恋しているかのように甘い色を帯びていた。何故、そいつにそんな表情をする?なぜ俺にそれを向けてくれない?目の前の光景に胸は苦しさを覚え、静かに痛みを叫び始めた。
「あの、……キス……してください」
突然聞こえてきたの言葉に、思わず自分の耳を疑った。こいつとは『そういう』仲だったのか、と。……その言葉は俺に対してではなく、グリムジョーへの言葉だったからだ。今の今まで俺はとその仲だった筈だ。一体どういう……何故グリムジョーと。
「ああ、……いいぜ」
グリムジョーが答えた。普段のこいつからは全く想像ができない程に甘く艶のある声で。二人は段々とその距離を詰め、の適度に潤いを保った唇にヤツのそれが近づき、今にも重なり合おうとしていた。そして……
ハッと、勢いよく身体を起こせば、そこはよく見慣れた自室の景色だった。じっとりと全身を覆う不快感。ポツリと額から雫が落ちてはシーツに灰色の小さなシミ。身体中をベタベタとした汗で濡らしていた。
酷い夢だった。何もかもが、たった一瞬が、永遠にも感じられる夢。そしてが俺から離れ、もう手の届かぬ場所へ……グリムジョーの方へと……
「っ……クソが……」
また胸が悲鳴を上げ、苦しさに思わず眉を顰める。もうほんの僅か思い出すだけでも反吐が出そうだった。夢、そうだ、ただの夢なのだ……と、そう理解すればそれで全て終わりのはずなのに。けれども俺の脳ミソは、夢ではなく現実だとしたら……と、余計なことまで考え始める。もし、グリムジョーとが秘密の仲だとしたら……
気付いた時には自室を出て、の部屋へ向かっていた。廊下の冷えた空気が汗に濡れたこの身体を冷やしていく。だがそんなことなど、どうでもよかった。それよりもこの胸を支配する不安、そして疑心を……早くどうにかしたかった。夢と現実の境が曖昧になっていたのだ。
の部屋へ着くと、ゆっくりと扉を開ける。特に引っかかることもなく普通に開いたので、鍵はかけていないようだった。不用心だ、と心の隅で思いつつも辺りを見回す、が彼女の姿はそこにはなかった。ならば、グリムジョーの部屋か……。やはり視た夢が現実になるのかと……失望と落胆、どこから湧いてきたのか怒りのようなものに心が埋め尽くされそうになっていた。
俺はこんなも弱く、動揺する存在だっただろうか……少なくとも最初はそうではなかった。他人のことなどどうでも良く、心とはどういうものかも理解出来なかったのだ。だがが、そんな俺を変えたのだ……
ふと、部屋のベランダ、開け放たれたガラス扉のカーテンが揺れる波間から人影か見えた。の姿だ。そこへ歩み寄ると、後ろからその小さな身体を手折らぬように、けれども強く抱き締めた。
「……誰にも渡さない」
「っ……!?……ウ、ウルキオラ、様?」
星屑の散らばる濃紺の空に浮かぶ青い月。その月明かりに照らされたの表情は、驚きを表していた。突然ノックもなしに部屋に現れ、後ろから抱き締められれば当然といえば当然だ。彼女がグリムジョーの部屋にいる訳ではないと分かったが、それでも俺の心は晴れなかった。
「どうしたんです?……大丈夫です、私は何処にも、誰の元へも行きませんから」
俺の手に添えられた、俺のそれとは大分違うの小さく温かな手。それと同時に俺の発言に対する答えが返ってきた。がはっきりと言い放ったそれに、ひどく安心させられた。俺の思い違い。やはり夢は夢……現実の俺との仲は今まで通りのもので、1ミリも変わったところなどなかった。
「そんなに慌て、動揺しているウルキオラ様を見るのは初めてです。もしかして、怖い夢でも視ましたか?」
「……っ」
「大丈夫ですよ、私はここにいます。こうして貴方の傍にずっと……だから、心配することなんて何もありません」
「……そうか」
は相も変わらず鋭かった。俺がいくら普段は感情の起伏が乏しいと他人に言われようが、例えそれが夢だとしても大切なものを奪われてしまったとなれば……慌てもするし動揺もする。しかし、それは大分薄れていった。の発した言葉、そして俺を温めるこの体温は、優しく俺を包み込んでは癒し、全ての不安や疑心を打ち消していった。この胸に残るのは、が愛おしい……そのひとつだけ。
「ではウルキオラ様、今日は一緒に寝ましょう!そうすれば怖いものなんて何もありませんよ」
「、そうなれば俺はお前を寝かせる気はない。……その覚悟はあるのだろうな?」
「……っえ、あの……その……っ」
はその可愛らしい頬を林檎のように真っ赤に染め、恥ずかしそうに視線を泳がせたあとに俯いた。
の提案を飲んだとして、俺は平常心でいられる自信は全くなかった。恐らくきっと、これでもかというくらいにを抱くだろう。それほどまでに俺の『心』はの全てを欲していたのだ。
「その、大好きな貴方になら……」
の鈴のような声音が、静寂に包まれた世界に小さく響く。 照れたように笑うの笑顔が月明かりよりも明るく、眩しく感じた。
「おい、ウルキオラ。最近テメェ、俺に対していつも以上に冷たくねぇか」
「うるさい黙れ、グリムジョー。全ては貴様の所為だ」
Pesadilla
(悪夢の終わりを告げたのは彼女の言葉だった。)(20170405)