caja de música

本棚を整理していると、手が何かに触れた。それは反動で棚から落ち、ガシャンと音を立て床に転がる。
それは落ちた衝撃で、開いた蓋から金属の円筒とくし状の金属が顔を覗かせていた。……オルゴール。現世ではこれをそう呼ぶらしい。箱の側面にあるゼンマイを巻くと音楽が鳴る、そんな機械仕掛けのもの。落ちたそれを拾い上げ、どこか欠けたり壊れたりしている部分はないか確認する。多少箱に傷がついてはいるが、この程度の傷なら音を奏でるのに支障はないだろう。次にゼンマイに指をかける。そして少し力を加えそれを回す。ジジジ……と音を立てて回っていくゼンマイ。ある程度巻き終えゼンマイが重たくなったところで指を放した。すると、オルゴールは高く儚い音色で穏やかな旋律を奏で始めた。きちんと鳴るか確認する為に鳴らしたというのに、その音色が心地よくいつの間にか聞き入っていた。が、急にその旋律は音色を変えた。先ほどまでの美しく穏やかな色を一切感じさせない、狂ったような不協和音を奏で始めたのだ。
壊れたオルゴールはそのまま放置したからといって勝手に直ることはない。それは狂った旋律を永遠に奏で続ける。
……それは人間関係、例えば、との関係でも同じことが言えるのではないか、とそう思った。





「おはようございます、ウルキオラ様」
「あぁ」

ふと廊下で視線が合えば、柔らかい笑顔と共に駆けてきたのは俺の従属官であり『大切な存在』といえる女。そう、これはいつもの光景だ。だが……今日は違った。そこにやって来たのは薄浅葱の奴の姿。

「よぉ」
「グリムジョー様もおはようございます」
「『も』かよ。まぁいい。……ウルキオラ」
「……なんだ」
、少し借りていいか?書類仕事をこいつに任せると楽でな」
「何故、貴様に……」

グリムジョーは複数の従属官を従えてるはずだ。それにもかかわらず、何故俺の従属官を貴様などに渡さなければならんのだ。
ふと、口角を僅かに上げて薄らと笑った奴の姿にどこか胸騒ぎを感じた。

「だから、言ってるだろ。書類仕事だって」
「まぁまぁ、……ウルキオラ様もグリムジョー様も落ち着いてください。私はグリムジョー様のお手伝い、全然構いませんから。その……ウルキオラ様?」
「……勝手にしろ」

仕方なく許可を出したが、すぐにそれを後悔した。嬉しそうに、グリムジョーの顔を見ながら柔らかく微笑んだのを俺は見逃さなかったからだ。
何故そいつにそんな笑みを浮かべる?何故楽しそうにそいつと話す?そんなの姿に僅かばかりの失望と……そして特別何か気にすることもなく、飄々とを連れ去っていこうとするこの男が心底憎くて仕方がなかった。



いつからだったか……の瞳が俺を映さなくなり、薄浅葱色を映すようになったのは。
いつからだったか……それに対して胸が苦しいと悲鳴をあげるようになったのは。知っては知らぬふりの繰り返し。ただ知らぬふりをしていればいい、いつかは元に戻ると信じて。
だが、それはなかった。全ては手遅れだった。あの壊れたオルゴールのように勝手に直ることはない。壊れ歯車が噛み合わないそれは、苦しい不協和音を奏で続ける。俺との関係はそれだった。
それならどうすればいい?





「……ルキオラ……ま」

の声が聞こえた。グリムジョーの元にいるはずのの声が。

「ウルキオラ様!」

今度は鮮明に耳に届いた声に顔を上げれば、そこにはの姿。あまり覚えてはいないが、あの後いつの間にか自室に戻っていたようだ。……それに時間もある程度経っていたらしい。
ふと、の肌がどこか艶を増しているような気がした。そして僅かに鼻を掠めた雌の匂い。の瞳の奥には、消え去りきれてない燻る熱の色。嫌な予感がした。その予感が的中しなければいいと、心の奥で強く願いながら言葉を掛ける。

、グリムジョーの仕事は終わったのか?」
「え、あ、はい……」

そう言ってバツが悪そうに俺から顔を逸らした。ほんの一瞬、首元を覆う死覇装の襟から赤い華が僅かに顔を覗かせた。願いは届かず、嫌な予感は見事に的中した。グリムジョーが付けた『俺のモノ』だと主張するそれに、言い知れぬ怒りと失望、絶望……様々な感情が胸の奥底で渦巻いては支配する。グリムジョーとがそういう仲だと、信じたくなかった事実を、こんなにも間近で見せつけられて、ただ呆然とした。
すると彼女から蚊の鳴くような声が聞こえた。

「ウルキオラ様、私……、」

もうそれ以上は何も言うな、と視線を送れば、小さく俯きそのまま口を閉ざした。自身も分かっているのだろう。それならこのまま俺の手で粉々に壊しまえばいい。今まで破壊しかして来なかったこの両腕……このまま放っておくくらいなら、狂った音色を奏で続けるくらいならいっその事、終わらせてしまえばいい。今までと同じだ。そうだ、今までと同じようにすればいい。それだけのこと。ただ、その胸を深く貫けば全ては一瞬で終わる。壊すことなど容易い。
気が付けば左手はの肩を骨が軋むほどにきつく掴み、右手はその胸の中心目掛けて突き出していた。

「……ウルキオラ様」

顔を上げたの瞳が揺れた。の命の華を散らそうと突き出した手が胸の前でピタリと止まったまま動かないのは、両腕が微かに震えているのは……をまだ愛しているからだろうか。
壊せなかった。いくら狂った音色を奏でていても、それを……全てを粉々に破壊することなど出来やしなかった。それほどまでには大切で、愛しい存在だった。
壊せないのなら、手放せばいい。その音色を美しい音色へと変えられる奴の元へ。

「早く行け、グリムジョーの元へ」



caja de música

(オルゴールはその狂った旋律を止めた。)


(20170516)