君に辿り着くまで、あと何センチ?

彼女の顎を親指で僅かに上げれば、俺を映す潤んだ瞳をゆっくりと閉じていく。柔らかそうな、適度な潤いを保った彼女の桃色の唇は、その時を今か今かと待ち構えているような艶を見せた。風に揺れる悩ましげな長い睫毛、窓から射す陽の光を浴びて薄らと金色を纏う髪からは、甘く優しい香り。
……その光景に思わず息を呑んだ。
これから俺は彼女にキスをする……先程まで、何でもない風に余裕を見せてはいたが、ようやく今ここで、そのことを意識し始めてしまった。高鳴る鼓動、緊張からか渇き始め潤いを求めだした唇。……俺の顔は今どんな表情をしているのだろうか。とりあえず、彼女が今瞳を閉じていて、俺が見えない状態なのが救いだ。
覚悟を決め、彼女との距離をゆっくりと詰めていく。6センチ、5センチ、4センチ、3センチ…………





「ねぇ、柳くん!」

俺の名を呼ぶ声に、ハッと顔を上げた。慌てて周りを見回せば、皆弁当箱を片付けたり、教科書を持って廊下へと出ていこうとしている……お昼時間が終わりかけの教室だった。どうやら俺は昼を食べ終わったあと、机に突っ伏して眠っていたらしい。再び目の前に視線を向ければ、俺の名を呼んだ主の姿。彼女は「ちょっといい?」と柔らかく微笑みながら俺の言葉を待っていた。
先程のアレは夢、か。だが、心の何処かで完全に夢とも言いきれないのが、目の前に立つ彼女がキスを交わそうとしていた相手だからだ。

「あ、ああ」

短く返事を返すが、明らかに動揺しているのが自分でも分かった。……意識せずにはいられなかったからだ。夢の中のキスの相手は好意を寄せている彼女。唇を重ねた訳では無いが……それでもあと、ほんの数センチで重ねるところだったのだ。
目の前に立つ彼女の、柔らかそうな桃色の唇、髪から香る甘い香りは更に夢の中のそれを思い出させる。段々と頬が熱を上げていく感覚。一度火照りだすと心を落ち着けようとしてみても、なかなか上手くはいかなかった。……俺らしくもない。ここまで動揺するなど。

「え?も、もしかして柳くん熱でもあるの!?……次の授業は移動教室だから起こさなきゃって思って起こしたけれど……悪いことしちゃったね」

そう言って彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。それに対して慌てて否定し、礼を言う。それでも彼女は心配そうに、じっと、俺を見つめた。彼女のその澄んだ瞳の中に俺が映る。彼女は解っていない。それが更に俺の頬の熱を高めていることを。

「でも、顔が赤いから……あ、保健室!保健室に行こう!」
「いや、だが……」
「熱があると大変だもの!」

私は保健委員だから、と彼女は俺に手を差し出した。少し戸惑うが……その小さく可愛らしい手にに己の手を重ねる。
確かこの時間は保健教諭がいない。ということは、ほんの僅かだけだが俺は彼女と二人きりになる。夢と違い、この現実では特別な仲ではないが……それでも彼女といられるのだ。嬉しいあまり胸は鼓動を上げ、また頬がまた僅かに熱を上げてくのを感じた。……あと3センチ、とまではいかないだろうが、彼女との距離は多少縮められそうだ。

「ああ、それでは頼むとしよう」



君に辿り着くまで、あと何センチ?

(まだまだ先は長いが、いつかは……)


それは甘い20題:02.3センチ
(配布元:確かに恋だった)
(20170416)