恋を無くしたあとに

「っ……!?」

左側に何かがぶつかったような軽い衝撃。
ハッとして本から顔を上げると、目の前には俺にぶつかった衝撃でバランスを崩し地面へ身体を傾ける女性の姿。
慌てて手に持つ本を放り、その女性の腕を掴むと自分の方に引き寄せる。が、咄嗟のことで力の加減が上手く出来ず、自分の方もバランスを崩す。
足に力を込めて踏ん張るも間に合わず、徐々に後方に傾く身体。
引き寄せた彼女になるべく衝撃がいかぬよう抱き抱え、襲う衝撃に備えて身体を固くする。



ドサッ。
左肩に背負っていたテニスバッグのお蔭か、思ったより衝撃は少なかった。
軽く息を吐き、彼女を抱き抱える腕を緩めると、その方を見遣る。よく見れば立海大付属中の女子制服だった。

「す、すまない!大丈夫か?」
「……」
「どこか怪我でも……」

声をかけても、一向に動く気配はなく俯いたまま無反応の彼女。
ふと、彼女の顔があるあたりのシャツが少し湿っぽい様な感触。湿っぽさの原因の答えを出す間もなく、彼女はその小さな肩を小刻みに震わせては嗚咽の声を漏らし始めた。
……泣いている。
こんな間近で女性に泣かれるのは当然初めての事だ。
しかも突然泣かれてしまった訳で、どうして良いのか分からず視線はさ迷い、どうにかしなくてはと焦れば指先は虚空を泳ぎ不可解な動きを繰り返す。
どうすれば……

ああ……そういえばたまたま読んだ雑誌で、こういった時に取るべき行動特集が組まれていた気がするが……興味の無い内容だったものだからあまり覚えてはいない。
だから自信はないし、これで本当に彼女が落ち着くのかは疑問だが……まぁ、やらないよりはいいだろう。
恐る恐る、自分の右手を彼女の頭部に近づける。
そしてその柔らかい髪を梳くように、優しく、ゆっくりと撫で続けた。










「大丈夫か?」
「その、ありがとう。そしてごめんなさい……」

落ち着いてきた彼女を近くのベンチに座らせ、自販機で適当に買った飲み物を手渡す。
すると、蚊の鳴くような声で呟きながら俺の手から飲み物を受け取る彼女と一瞬、目が合う。だが、赤く腫れた瞼、頬に薄らと残る涙のあとを隠すように、すぐ視線を手に持つ飲み物へと移し俯いてしまった。
……どこに視線を向けていいのか分からず、ふと空を見上げる。
空に橙と赤のグラデーションを描いていた夕陽はとうに沈み、夜を告げる藍色の空にはぼんやりと月が見え始めていた。

「あの、柳くん……だよね?私、真田くんと柳生くんと一緒のクラスだから、貴方のこと知ってる」
「そうか」

彼女、どこかで見覚えがあると思っていたが、そうか……弦一郎と柳生と一緒のクラスだったのか。
今度はこちらから話しかけたほうがいいだろうと口を開きかけた時、彼女が俯いていた顔を上げ先に言葉を発した。

「ねぇ、何も……聞かないの?」
「……それは、聞いて欲しかったということか?」

思わず考えなしに発してしまったが、そう気がついた時にはもう遅く……
心なしか涙を目尻に溜めてるように見えた彼女は、視線を落としそのまま黙ってしまった。

「いや、すまない。その、何があったのか良ければ教えてもらえるか?」
「……振られてしまったの。彼に」

恋愛事の話、か……
その手の話は専門外……むしろ疎い方だ。
とりあえず、他人に話すことで気が紛れることもあるだろう。彼女の座るベンチに腰掛け、その話の続きに耳を傾ける。

「付き合ってる彼がいたの。でも、彼は他の人とも付き合ってた……二股ってやつ。さっき彼に別れを告げられたんだけれど……でも私、別れたくなくてっ」
「……別れて良かったと思うが?」
「っ……」

どうやらまたやらかしてしまったようだ。
……ふむ、女性と話すのは中々難しいものだな。

「すまない、言い方が悪かった。その、上手くは言えないが……その男は君から愛情を受けていたにも関わらず、愚かにも他を求めその結果、君を手放した。そんな男とヨリを戻したところで傷付くのは君自身だろう」
「……」
「別れを知れば臆病になってしまうかもしれない。だが、その男のことなどさっさと忘れてしまった方がいい。この先君を一途に愛し、こんな風に泣かせはしない男が現れてもそれに気が付けなくなってしまうからな」
「……そんな人、現れる……かな?」
「大丈夫だ。ほら、自信を持て。泣き顔も良いが、女性はやはり笑っている方が魅力的だと思うぞ?」

嘘ではなく実際に思ったことなのだが、我ながらよくこんな言葉が出たなと思う。
言葉を発した時にはそう感じなかったのだが、今になって本当に自分が彼女に言ったのか疑わしくなってきた。
あまりにしっくりこなくて、だ。
そうこう考えていると、彼女がベンチから急に立ち上がった。そんな彼女の方に視線を向けた瞬間、自分自身の身体をある異変が襲う。
熱があるわけでもないのに全身は火照りだし、トクン、と一際大きな鼓動が胸を叩く。
惹き込まれたかのように彼女から視線を離せなくなってしまっていた。

「ありがとう、柳くん」

柔らかく微笑んだ彼女は、瞼を赤く腫らしていることなど気にもならないくらいにとても綺麗で……
そして……



愛しい、と……守りたいと思った。



恋を無くしたあとに

(これが恋に落ちる、ということなのだろうか)


(20170904)