『眩しい』
そう感じたんだ。
見上げれば紺と橙のグラデーションが広がる空。どこの部も活動を終え、片付けの最中なのだろう。先程まで響き渡っていた各部の掛け声は止んで、少し離れた場所の話し声が多少聞こえるくらいには静かになったグラウンド。当然他の部同様に我がテニス部も部活を終え、後片付けの最中だった。
タオルやラケットを仕舞おうと自分のカバンを開けるが、音楽の教科書がないことに気が付く。ああ、そういえば6限目の音楽で使って音楽室に忘れてきたんだっけ。消えてなくなる訳でもないし、部活が終わった後にでも取りに行けばいいやと後回しにしていたが、さすがに校舎の鍵が閉まる前には取りにいかないといけない。
音楽室まで取りに行こうと、部室のホワイトボードの前、練習メニューの打ち合わせをしているのだろう二人に声をかけた。
「真田、柳。すまないが後は任せていいかい?」
「ああ、こちらは大丈夫だ幸村」
「精市が忘れ物を取りに行く確率……76%、だな」
珍しいこともあるものだな、と真田が軽く笑う。閉まる前に早く行ってこいと柳。二人に甘えて、俺はテニス部の部室を後にした。
校舎内に入ると特別棟の三階にある音楽室へ向かう。生徒はほとんど帰ったのか、昼間の賑やかな校舎とは打って変わって静まり返っていた。だが、階段を上がるにつれてそれも変わってくる。……歌声。
そうだ、この声だ。
凛とした芯のある声は俺の中の一切の迷いや負の感情を焼き払い、そして……行くべき道を輝き照らすような……俺は音楽室に辿り着いてもドアに手をかけたまま動けず、しばらくその歌声に聞き入っていた。
「誰か……いるの?」
まるで水が流れるように彼女から発せられていた旋律がピタリと止まった。誰かを探すように周りを見渡す彼女とドアの窓越しに目が合う。聞き入ってそのままの、取っ手にかけていた手を引き、彼女のいる教室へ入る。
「邪魔してしまったかい?」
「ゆ、幸村くん……あ、もしかしてあれを取りに来たの?」
彼女は首を横に振り俺の問いに否定を示しながら、ある方向を指差した。その方に目を遣ると、音楽の授業の時座っていた座席、その机の上には俺の教科書が置かれていた。
「届けようか迷ったのだけど、部活の邪魔をしちゃ悪いと思って」
「迷惑をかけたね……ありがとう」
申し訳なさそうに言う彼女にお礼を言うと、その席の椅子を引き、そこに座った。俺の目に映るのは不思議そうに首を傾げる彼女の姿。
「……?」
「君の歌声、もっと聞かせて欲しいな」
「ええっ……そ、その誰かの前で歌うの、とても緊張して……」
「君の歌声はとても素晴らしいものさ。」
「わ、私ね……ただ音楽が好きで。辛いことがあっても、歌っているとそれがいつの間にか消えていって落ち着いてくるの。そしたら自分がどうしたらいいか分かってくる気がして……変かもしれないけど、音楽は私にとって希望の光で……」
そう言いながら愛しそうにピアノを見つめ、そして撫でる彼女の姿に胸が高鳴っていくのを感じた。彼女は本当に音楽が好きなんだ。そして楽しんでいる。
俺もいつか行けるだろうか。
音楽を楽しんでいる彼女のように、俺もテニスを『楽しい』と感じられる領域へ。
「も、もしね、音楽が私の光であるように、私の歌声が他の誰かに届いてそういう存在になれたらいいなって……あ、ごめんなさい。何語っちゃってるんだろう。そんなの私には無……」
彼女の言葉を遮るように机に両手をつき立ち上がる。
ガタッ、と大きな音が静かな教室の空気を震わせ、そして彼女はピクリとその小さな両肩を跳ねさせた。……その先は言わせたくもないし、聞きたくもなかった。間違いなく俺にとっては暗闇を照らす道標の光であるし、彼女自身からそれを否定なんてして欲しくはなかったんだ。
自分を落ち着かせようと小さく息を吐き、ゆっくりと彼女の方に歩み寄る。驚かせてしまった謝罪の意味も込め柔らかく微笑むと、彼女の小さく儚げな手を取り俺の胸にそっとあてた。
「君の歌声は確かに届いていたさ。俺の心をこんなにも掴んで離さないのだからね」
「ゆ、きむらくん?」
「だから聞かせて欲しいな……もう一度君の歌声を」
そうだね……
出来れば今この時は俺の為だけであってくれると嬉しい、というのは言わないでおこうか。
Sirius
(光り輝くもの、それは……)(20170328)