桃花酒

雛祭り。
女子のお祭りとも言われる……が――
この本丸を仕切る審神者である彼女は、私なんて可愛らしく女子なんて言える年齢でもないし……、といつも通り執務をこなしていたし、歴史修正主義者と戦う俺たちに祭り事や記念日だとかの祝日が存在するわけでもなく。実際、雛祭りは彼女の時代も祝日ではないようだ。
彼女はああ言うが、途方もない年月を経てきた俺らからしたら彼女の言う年齢の問題など些細なことだし、それを抜きにしてもとても可愛らしい娘だ。それに、女子の健やかな成長を祈る行事の対象が大人になったって誰も怒る奴はいないだろう。
何せ昔から祭り事が好きな国民性だ。それが人だろうが刀剣だろうが変わらない訳で、この本丸でもそんな刀剣たちが宴を催し、夕餉時にちらし寿司やはまぐりの吸い物でささやかなお祝いをしたところだ。
夜も更けてきたきたところで彼女が自室に戻ったので、俺も広間で行われていた宴席をこっそり抜け出す。

彼女と共に……これを呑む為に。
手に持つ袋の中にあるのは数日前に万屋から取り寄せた、平安の貴族がよく飲んでいた桃花酒という酒だ。

離れにある主の部屋の前に着いたところでひと呼吸し、中に居るであろう彼女に声をかけた。

「主、いるかー?」
「その声は……鶴丸さん?」
「ああ、用があるんだが……すまんが襖を開けてもらってもいいかい?」

襖の向こう側で小さく物音が聞こえた。
……よし。
懐から鮮やかな彩りの巻き笛を取り出すと、それの吹き口を唇で挟む。ただ、普通に顔を合わせるんじゃ面白くないだろう?人生には驚きが必要、だからな。
スッと襖が開き室内の光が廊下に零れた瞬間、それに思いっきり息を吹き込んだ。

ピィイイィッーーーー!!
そんな高い音を響かせ、勢いよく先端の色彩豊かな紙筒がビヨーンと伸びた。

「わああっ!つ、つ鶴丸さん!?」

目の前には澄み渡った双眸をまんまるにさせて上擦った声を発し、口を半開きにさせたまま動かない彼女の姿。それに満足し吹くのを止めると、巻き笛の先端の紙筒がクルクルと戻ってくる。想像通りの彼女の反応に、にんまりと笑みが溢れるのを我慢できなかった。

「ははっ!驚いたか!」
「もうっ!鶴丸さんったら!!……それにしてもどうしたんですか、こんな夜更けに」
「きみとこれを呑もうかと思ってな」

そう言って俺は手に持つ紙袋から、白濁した液体の入る淡い桃色のラベルが貼られた四合瓶を取り出す。俺が揺らす度、中の液体に漬け込まれた桃の花弁が舞うのを彼女は不思議そうに食い入るよう見つめていた。どうやら、興味は持ってくれたみたいだ。

「なんか可愛いですね。お酒……ですか?」
「ああ、桃花酒だ。俺と夜の雛祭りを始めないか?」
「なんか言い方が……青江さんみたいです」
「おいおい、ただ酒を嗜むだけだろう?……それとも、きみは何か期待してるのかい?」

彼女には俺の発言が意味深に聞こえたらしい。勝手に如何わしい想像をしたのはきみの方だろう、と目を細め悪戯な笑みを浮かべれば、彼女は頬を熟れた林檎のように赤く染め顔を逸らした。こういう可愛らしい表情をするもんだから、それが愛らしく何度もからかってしまう。

「そ、そんなことありません!鶴丸さんが紛らわしい言い方するからっ」
「わかったわかったすまんって!それで……入っていいかい?」
「もうっ勝手にしてください!」
「んじゃ、失礼するぜ」

開いた襖をそのままに部屋の中へ戻っていく彼女に思わず笑みが溢れる。俺も彼女の後に続いて部屋の中に入った。

「ほら、持ってろ」

部屋の中央に腰を下ろし、彼女も俺の隣に座ってもらう。そして懐から赤塗りに金色が散りばめられた小さな盃二枚取り出し、そのうち一枚を彼女に渡す。桃花酒の入った四合瓶の蓋を開けると、それを傾け中身を彼女の盃に注いでいく。白濁した液体が盃の中で踊り、白に浮かぶ桃の花弁はとても映えていて、甘い香りが鼻孔をくすぐった。

「あ、綺麗……」
「だろ?」

盃に注がれた桃花酒を見つめ、ポツリと彼女が言った。彼女が喜んでくれて何よりだ。あとは味の方だが……
もう一方の自分の盃に酒を注ごうと瓶を傾けようとしたとき、彼女の静止の手が入った。

「あ、待って。私が注ぎます」
「じゃあ、頼むぜ」

彼女が酒の入った盃を畳に置き俺から瓶を受け取ると、緊張したのか少し震える手で俺の盃に中身を注ぐ。小さくトクトクと音を立て、俺の盃にも桃の花が咲いた。

「なんだか呑むのが勿体無く思いますね」
「ははっ……ま、とりあえず呑んでみろよ」
「……いただきます」

彼女が盃を口元まで持っていきそれを傾けると、白く細い喉が僅かに動いた。そしてまた、コクリと喉を鳴らし嚥下していく。盃に注いだ全てを飲み干したのかそれを口元から離し、空になった盃を持つ手を膝に置いた。

「お酒とは思えない、ジュースみたいにとろける甘さで……トロリ、とした味わいにあまりキツくない桃の香りが絡み合って深いです」

そう感想を述べ微笑む彼女に安堵する。清酒ではなく飲みやすい桃の果汁入りの甘いものを選んで正解だったようだ。だが、だんだんと僅かだが、頬が桃色に染まり瞳は潤んでいるように見えた。
酒があまり強くないと以前に聞いてはいたが、まさかたった小さな盃一杯で……?

「あの……もう一杯、いただけますか?」
「おい……」

ここで彼女の盃に二杯目を注いで、それで終わるだろうか。まるでジュースとやらみたいに甘いのだ、酒であることを忘れ三杯四杯と進めば、翌朝だるそうな彼女を見た長谷部や光忠あたりに俺はこっぴどく叱られるだろう。まぁそれ自体は別にどうってことはないが、彼女を二日酔いなどにする訳にもいかない。その空になった盃に酒を注ぐにしても、彼女が次を望まないようにしなければならないな。
さて、どうしたものか……

ああ……いいことを思いついたぜ。

「一口、だけならいいぜ」

主は嬉しそうに蕩ける様に笑って小さな盃を両手で俺に差し出したが、俺はそんな彼女に向けて意地悪くにやりと笑う。そして自分の盃を少しずつ傾け、ぽかんと呆気にとられる彼女を横目に桃の花弁が浮かぶ白く濁る酒を口の中に注ぎ込んだ。桃と砂糖の甘ったるい味と香りが口いっぱいに広がる。手に持つ盃を畳の上に置き、目の前の熱を持ち白い肌を桃に染めた頬を一撫でした。

「え、え?つ、鶴ま、るさ……ん?」

肩を僅かに震わせた彼女の手から盃が滑り落ち、コトンと音を立て畳に転がった。固まって口をぱくつかせている彼女の顎を持ち上げ、酒で濡らし艶やかに光る真っ赤な唇に顔を寄せると、そのまま自分の唇を重ねる。開かれた唇の隙間にすかさず舌を捩じ込ませ、口に含ませていた酒を彼女に注ぐ。縋り付くように小さな手で俺の着物を掴み、口移しされる酒を必死に受け止め飲み込もうとする様は、とても愛らしかった。移した酒を彼女が全て嚥下し喉の奥に送ったところで、そっと唇を離した。すると彼女は肩を激しく上下に揺らし、酸素を求め息を吸いそして甘い吐息を吐き出す。
なんでこんなに可愛んだろうな。

「おいおい、鼻で呼吸しなかったのかよ」
「もうっ!つ、る……まるっ!……突然何をっ!」
「ん?ああ……きみが望んだ二杯目さ。どうだ、美味かったか?」

何事もなかったかのように、しれっと言い放つ。
赤かった頬を更に赤く染め上げ、目の縁に涙を溜め込んで恥ずかしそうに抗議の声を上げる彼女の唇を再び自分の唇で塞いだ。



桃花酒

(きみはこれを綺麗と言ったが、俺からしたらきみの方が……)


(20160811)