頭の中は瀬人の誕生日の事ばかり。
10月25日。
今日は大切な人で大好きな人の誕生日。彼氏である海馬瀬人の誕生日。
その彼女である私が誕生日プレゼントを彼に渡すのは当たり前なんだけれども……何を渡したら良いのか、もう二ヶ月も前から考えているのに全く思いつかない。彼は海馬コーポレーションという大企業の社長であるし、手に入れられないモノなんて何一つないと思うから。
私って……彼女失格だよね。
「ああっ、どうしよう。もう終わった……」
「……何が終わったのだ?」
「それはね……って、瀬人!?」
誰かから言葉が返ってきたから、反射的にそのまま続けようとするが、よく考えるとそれはとても聞き覚えのある声だと気付く。ゆっくりと突っ伏していた顔を上げれば、そこには腕を組んで立っている彼の姿。思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
周りを見渡すと、いつの間にか最後の授業もSHRさえも終わっていたようで、皆下校してしまったのか部活に行ってしまったのか、私と彼の他は誰も居ない。
教室には瀬人と私の二人だけ。
「一体何をそんなに驚いている」
「え、うん、まぁ……な、何でもないよ?」
今、瀬人の顔を見るのが気まずくて、返答しながらも彼から顔を逸らして窓の方に視線を向ける。
窓の外は放課後の時間帯らしい茜色が広がっていた。
「何でもないようには見えないが?」
瀬人の両手が私の頬を包んだ。それよって強制的に彼の方に向かされる。瀬人のコバルトブルーの瞳には憂わしい色が浮かんでいた。
彼は私の事を心配してくれている。それなのに私は彼の誕生日プレゼントの一つも用意することが出来ないなんて。
瀬人は怒るかな?
でも、言わなくちゃいけない。意を決し、重く閉ざされた口を恐る恐る開いた
「……あの、ね」
「何だ」
「今日は大切な瀬人の誕生日なのに、渡すプレゼント思いつかなくて……」
「……」
「私、駄目だよね?瀬人の彼女な……」
「……そんな事か。オレがそんな事で怒るとでも思ったのか?」
私の言葉終わるその前に、やや呆れ気味な彼の声が返ってきた。そして数秒後、また彼が口を開く。
「何もいらん」
頬を包んでいた瀬人の手が私の手を掴む。そしてそのまま彼に抱き寄せられた。近い……けれども私と彼を隔てる机が無性に憎らしく思えた。
「オレはお前と……名前と一緒に居られれば、何もいらん」
「っ……瀬人っ」
「だが、強いて言えば……――――しい」
瀬人の言葉は同時に鳴ったチャイムの音に掻き消された。こんなにも近くに居るのに何を言ったのか全く分からず、彼に聞き返した。
「瀬人、今何て言ったの?」
「ふん、聞こえなかったのならそれで良い」
彼はそう言うと手を解き、自分の席に戻ろうと私から離れた。私は慌てて瀬人の手を掴んで引き止める。すると彼は振り返り、深いコバルトブルーの瞳で私を見つめた。
分からないままなんて嫌だった。瀬人が言った言葉なら尚更。
「ねぇ、教えてよ」
「……」
「瀬人のイジワル」
「……仕方あるまい、教えてやろう」
彼の言葉を聞いて私は満面の笑みを浮かべる。
「だが……聞いた事を後で後悔するなよ?お前に拒否権は無いのだからな」
そして瀬人は私とは違い、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
「オレは……『名前が欲しい』、と言ったのだ」
「っ……」
言い終わるのとほぼ同時、瀬人の顔が目の前にあった。そして形の良い唇を薄らと開くと、顔を出した鮮やかな舌が私の首筋を這う。その生暖かい舌の感触に、そして至近距離で感じる彼の熱い吐息に、気が狂いそうになる。
「せ……と、やめっ……」
「先程も言ったが、お前に拒否権はない」
そう言って瀬人が私の制服に手を掛けた瞬間、外でクラクションの音が鳴った。その音に窓の方を見ると、校庭の奥、校門前に黒い高級車と磯野さんが見えた。彼も窓の方に視線を向け外を確認すると、眉を顰めて小さく舌打ちをした。
「ふん、行くぞ……この続きは後でだ」
そう言うと瀬人は二人分の鞄と私の手を掴み、廊下の方へ歩き出した。心做しか、私の手を掴む彼の手は少し力が入り、普段の冷たさは消え熱を帯びていたように思うし、歩く速度も少し速かった気がした。
「ねぇ、瀬人っ」
ふと、大事な事を思い出して、先を行こうとする瀬人を呼び止める。すると瀬人はゆっくりと私の方を向く。向かい合い、私の言葉の続きを待った。
私はまだ言ってない。
とても在り来たりな言葉かもしれないけれど……一番言わなきゃいけない大切な言葉。
「お誕生日おめでとう。そして……生まれてきてくれてありがとう」
コバルトブルーの瞳を細めた柔らかい微笑みの後、唇に触れるだけの優しいキスが一つ落とされた。
貴方に贈りたいもの
(20071030)
※加筆修正(20170328)