目の前には気持ちよさそうに締まりのない顔を晒している彼女の姿。
自室のドアを開けて目に入ってきたのは、カーテンが開け放たれ窓から陽が差し込む部屋の奥、陽の光を浴びて気持ちよさそうにオレのベッドで寝そべってる名前の姿。だが、ただ寝そべってる訳ではなく……
ベッドの上部にあるはずの枕はそこには存在せず、名前の腕の中……だ。
一言で言えば抱き枕にしている訳だが、腕に余程の力を入れてるのか、柔らかくも適度な硬さを持った枕の形はだいぶ歪んでいる。
見たそのままなのだが、予想外の光景に俺はベッドに腰を下ろすと思わず何をしているのか聞いてしまった。
「んー、ぎゅーっとしてるの」
「……おい、主語がないぞ」
脱力しきって覇気のない声で答えた名前にそう指摘してやれば、「見れば分かるでしょ?瀬人は細かい」と返ってきた。
本人は訂正する気が更々ないらしい。
「お前がこれ以上馬鹿にならぬように教えてやっているのだ。ありがたく思え」
「……馬鹿でいいもん」
名前はそう言って黙ってしまったので、ここで会話が終了してしまった。
「……瀬人の匂いがする」
背中に当たる陽の暖かさが心地よく、ウトウトし始めていた頃。ふと、名前の籠もった声が聞こえた。名前の言葉に話が見えず後ろを振り向くと、枕は腕の中から上へ移動し、名前はそこに顔うずめている。
「オレが使っているのだから、当たり前だろう」
「でも……こっちの方が好きだな」
そう言って枕から顔を離して柔らかく微笑むと、枕をオレに投げて寄越す。それを軽くキャッチし、一瞬視界が暗くなると背中に重みを感じた。そのまま腰に手を回されてさらに密着し、名前の温かな体温が布越しに伝わってきた。
「っ……」
「枕より硬いけど……瀬人がいい」
そう言って名前は頬をオレの背中に擦り寄せた。
「ふん、そうでないと困る。まあ……枕を選んだとしても、オレはお前を振り向かせる自信はあるがな」
「あははっ、瀬人らしい答えね……じゃあ」
「瀬人、キスして?」
脇から小さく顔を出すと、その大きな瞳を潤ませながら見つめてくる名前。
いつもより大胆な行動に驚くと同時に、己の中の欲望が名前のそれによって段々と燻り始めているのを感じた。
そう、キス……だけだ。
ただ、名前の望むままにその柔らかく艶のある唇に己の唇を重ねればいい。
たったそれだけの事なのに、それをしてしまったら燻っている欲が大きく煙をあげて燃え盛ってしまうのではないか……それだけでは物足りなくなり、そして……
色々考え始めるが一度火がついてしまったものは中々消すことは出来ない。軽く深呼吸をし、腰に回された彼女の手を掴んでベッドに押し倒した。
冷静に、なるべく己の中の欲を燃え上がらせることのないようにそっと、名前の望み通りに唇に優しくキスを落とす。
名前の柔らかい感触を少し味わい、名残惜しい思いを胸にゆっくりと唇を離した。
「うん、やっぱり瀬人の……」
酸素を求めて数回深く呼吸を繰り返した後、消え入りそうな声で何か呟くと、その大きな瞳をゆっくりと閉じていった。
「……?」
そっと名前を呼んでみたが返事はなく、代わりに名前から聞こえてくるのは規則正しい寝息。
「寝た……のか」
ひとつ、小さく溜息を吐き出す。こいつはオレがキス一つするのにどれだけ葛藤したのか、お前に振り回されたことなど何一つ知らないだろう。それどころかこの出来事すら忘れているだろうな。
こいつが起きた後、どうしてやろうか……
こんなことがあったと、事細やかに教えてやろうかとも思ったが……
「…………」
……そんな事を考えるのも段々と馬鹿らしく思えてきた。名前がさっき言った言葉……消え入りそうな声、だがそれでも確かに聞こえたその言葉。それを思い返せば、本当にくだらない事をしようとしていたのだと自分自身に呆れた。それと同時に嬉しさから僅かに頬が緩むのを感じた。
瀬人の
俺様なところ
少しうるさいところ
強引なところ
優しいところ
全部……
好きだよ。
もし名前が起きたら、オレに言ったことを覚えていないかもしれない。それでもいい。オレが覚えているから。
名前が起きないように、耳にかかる髪を丁寧にどかす。そして露わになったその可愛らしく小さな耳にそっと囁く。
「オレも名前の……」
言葉足らずなところ
何もかもが突然なところ
柔らかく微笑むところ
俺が好きなところ
全てが……
「好きだ」
そんな君が僕は好きだから。
(20080921)
※加筆修正(20170326)