涙は止まることを知らない

「本日一杯で学校を辞めることになりました」

シーン、と静まり返った教室内が一気にざわめいた。
教壇の上ってこんなにもみんなの表情がよく見れるものなんだと、今更ながら思ったりもして。だから一人だけ無表情で、みんなと違うことをやっている人もすぐに見つけられる。
ポツンと空いた私の席、その隣の席の彼。
海馬瀬人。

私の言葉を聞いていたのかいなかったのか。我関せず、といった感じで彼はいつもと変わらず目の前のパソコンをジッと見つめて弄っている。

「おーい、静かにしろ!!授業始めるぞ」

1限目開始を知らせるチャイムが鳴ると、それと同時に先生の大声が教室内に響く。その声に周りは文句を言いながらも渋々授業の準備をし始め、そして静かになった。私も慌てて席に戻ると、鞄から筆記用具と教科書とノートを引っ張り出す。そしてそっと、隣の席を見遣れば、まるでそこだけ時の流れが違うかの様にパソコンを見つめたままの彼の姿。学級委員の号令がかかってもそのまま。

何も変わらない、たまに登校する彼のいつもの光景。

たとえ、
隣の席の人が今日で学校をやめるってことになっても。





放課後になると、仲の良い友達やクラスメイトに別れの挨拶やプレゼントなどを手渡された。それはとても嬉しかったけれど、どこか心の中が埋まらない感じで。
そのクラスメイトたちの中に彼の姿は……勿論なかった。当然といえば、当然で。そういう人だとは分かってはいても、やはり寂しいもので。

帰り支度をするから、とみんなと別れ急いで教室に戻る。どうしてか分からないけれど、そうした方がいい気がした。もしかしたら……彼がまだ教室にいるかもしれないという想いがあったからなのかもしれない。
教室のドアの前に辿り着くと、ドアの窓越しに帰り支度をしようとしている彼の姿が見えた。
彼の姿を見つけ、段々と胸の鼓動が高鳴っていく。
まだ、まだ……いてくれた。まだ終わりじゃない。

ドアを手に掛け開ける前に一呼吸する。気持ちを落ち着けるように深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。少し落ち着いたところでドアを開け彼の方へ歩き出した。

「ねぇ、海馬くん……今日でお別れだね」
「……だから何だ」

目の前に立っても黙々と帰り支度を進める彼。そんな彼に意を決して話しかけると、動いていた彼の手がピタリと止まる。そして相変わらず視線はこちらには一切向けず、彼らしい一言が返ってきた。
ピクリ、とほんの僅かに肩が跳ねた。私が居なくなる事なんて彼には一切関係ない事だと分かってはいても、その意味が辛かった。
彼の隣の席が空いていようがそうでなかろうが、何も変わらないのだ。出席日数の為だけに登校してはパソコンを開き、それを眺め淡々と仕事をこなすだろう。今日も明日も明後日もそれはきっと変わらない。

次の言葉を発したいのに唇は震え、そして掌にはジワリと汗が滲み出す。それでも伝えたくて口内に過剰に溜まった唾を一つ飲み込んで、ゆっくりと口を開いた。

「……一応、隣の席だったから、挨拶をと思って」
「そうか」

彼はそう短く答えて、止めていた手をまた再び動かし始めた。机の引き出しに溜まったプリントの束を無造作に鞄の中へ突っ込んでいく。



貴方にとって私はどうでもいい存在でしょう。
別にこの場所から消えたって何とも思わないでしょう。
少しでも貴方の心に私がいれたら、って思ったけれど……
それは叶わぬ願いだったみたい。

でもね、
それでも私は貴方が好きなんだ。

好きなの……っ



……貴様は何故泣く?」
「………えっ?」

突然、彼が分かりかねるというような声音でポツリと言った。
ふと気付けば、滲み歪んだ視界越しに彼のコバルトブルーと目が合う。彼の言葉に頬に手を当てれば生暖かい雫が指先を濡らした。
それはいくら手で拭っても拭っても、止まることを知らないみたいに溢れてくる。

「あ、あれ……なんでだろっ」

なんで……なんで止まらないんだろう。目尻が熱い。
止まって、と必死に思えば思うほど止まらない。大好きな大好きな貴方の前で……貴方の前でこんな姿見せたくないのに。
だけど、不思議と気持ちが楽になっていくのはなんでかな。苦しいのに、胸が張り裂けそうなのに……それが貴方への想いと一緒に、涙となって流れてくみたい。
何も言わないつもりでいた。
ずっと心の奥に仕舞っておくつもりでいた。
だけど、今なら言える気がするの。
私の想い……


『貴様は何故泣く?』


最後に、
その問いに答えてあげましょう。
それは貴方の事が……


「好きだからよ」


何があっても動じない彼のコバルトブルー瞳が、
一瞬、ほんの一瞬、大きく見開かれた気がした。

ねぇ、
ちょっとだけ自惚れてもいい?
それは少しだけでも、貴方の心に居られたってことかな?

そうだといいな。

「海馬くん……」



「さようなら」

最後に……
綺麗とは言えないけれど、少し笑えた気がした。



涙は止まることを知らない




(20090504)
※加筆修正(20170322)