貴方以外何も見せないで

冷たい風に乗って聞こえるのは、子供が弾いているのだろう、何処かあどけなさが残る鍵盤の旋律。揺れるレースカーテンの波間から射し込む西に傾く太陽の光は、部屋を照らしオレンジ色に染め上げていく。その光があまりにも切なくて眩しすぎるから、窓をそっと閉めカーテンを引いた。……それでもほんの少しの隙間から漏れるオレンジは、鈍い色の部屋を淡く照らす。

「瀬人、キスして……」
「ああ」

短くそう答えた彼は左腕の時計を外すと、それをベッドサイドに置く。そしてカーテンに手を添えたままの私の手を掴むと強引に引き寄せた。抱き寄せられ、密着した彼の胸から聞こえるのは規則的な鼓動。それにほんの少しの安らぎを感じていると、彼の骨張った長い指先が伸びてきた。それが顎に添えられると、上へと持ち上げられコバルトブルーの瞳と目が合う。微かにオレンジに染まるブルーに思わず見とれていれば、突然唇にキスが降ってきた。
最初はほんの少し触れるだけの。そこから段々とキスは激しさを増していった。唇と唇を絡ませ合い、何度も互いの感触を確かめ合う。時間の感覚を狂わせ忘れてしまうほどの熱いそれに、ゆっくり瞼を閉じる。瞼を閉じることで感覚が研ぎ澄まされたのか、もっと深いところで彼を感じた。彼の舌が私の唇をなぞる……それだけなのに身体が小さく震える。
そして、言葉に出来ない想いを伝え合うかのように、舌と舌を絡ませ合った。激しいそれに唇の端から顎を伝い落ちていく互いの唾液が混ざった雫。
ようやく唇が離れ、ゆっくりと瞼を開ければ、ふたりを繋ぐ銀の糸が見えた。それはまだ離れたくないと訴えるかのように糸を引き、名残惜しさを残すように切れては消えていった。

「……どうして、貴方を好きになってしまったのかな」

カーテンの隙間から射す光に、左手薬指の誓いが鈍く光る。
永遠に結ばれることのない、互いに帰る場所がある……好きになってはいけない者同士の恋。いくら好きでも、どんなに貴方を想っていても、この唇は『愛してる』を言うことは許されない。
もっと早く貴方に出逢えていたのなら、貴方に愛してると言えたのなら、この関係はもっと違うものになっていただろうか。後ろめたさもなく、好きも愛してるも躊躇いもなく貴方に伝えられる未来があったのだろうか。

「それは……オレを好きにならなければよかった、ということか?」

静かな部屋に艶のある低音が響いた。そして一呼吸置いて「……オレは後悔はしていない」とそう言っては私の頬を優しく撫でる。その言葉に目頭が急に熱くなって、視界が歪み始めた。
ふと、歪んだ視界の先に瀬人の指先が見えた。それは目尻から溢れ出し頬を濡らしていく雫をそっと拭っていく。

「私はっ……瀬人が、瀬人が好きっ……」
「ああ、オレもお前が好きだ」

段々と暗いブルーに染まり始めた部屋。カーテンの隙間から零れる控え目な月明かりが、柔らかく微笑んだ彼のコバルトブルーの瞳を淡く照らす。私を見つめるそれは、吸い込まれてしまいそうなくらいに深く、きらきらと青に輝く氷のようで……。それがあまりにも美しく綺麗なものだから、彼の瞳から少しも目が離せなかった。
……こうして彼だけをこの瞳に映していられたらいいのに。そしてこのまま時が止まってしまえばいい。そうすれば終わりゆく今日を、私たちを引き裂こうとする逃れようのない明日も見ないで済むのに……
そんなことを思いながら「抱いて」と小さく呟けば、彼は皺一つないワイシャツを脱ぐとそれを床へと落とす。

「オレもお前を抱きたい。お前の感触を……全てを全身で感じたい」



貴方以外何も見せないで

(ねぇ、神様。私に終わりのない夜をください)


(20170615)