奥のパノラマウィンドウに映るのは、濃紺の空と摩天楼が放つ数々のネオンの賑やかな明かり。
そんな景色を背負いプレジデントチェアに座る彼はおもむろに箱から一本タバコを引き抜くと、それを口に咥えオイルライターのホイールを回した。けれどもタバコに火が着くことはなく、どうやらオイルライターはガス欠のようで、眉を顰めた彼から小さく舌打ちが聞こえた。そして面倒臭そうに引き出しからマッチ箱を取り出し、マッチを擦ってタバコに火をつける。長く綺麗な指先に挟まれたタバコは、煙をゆらゆらと立ち上らせて空中に模様を描いた。
彼は煙を肺へ吸い込むと、天井へと勢いよく紫煙を吐き出す。それを2、3度繰り返した。
「……不味い」
そう一言、不機嫌そうに呟くと、プレジデントデスクの上のガラスの灰皿に吸いかけのタバコを置き、彼は私に視線を向けた。
「一体何だ、。貴様は何故ジロジロとオレを見つめる」
落ち着かん、と彼は最後に付け足す。
「……ごめんなさい。そんなつもりは無かったのだけど」
そんなつもりは無かった。
そう……そんな無遠慮に彼を見ていたとは思わなかった。
ただ、パノラマウィンドウからのネオンの明かりだけのこの部屋でタバコを吸う彼のその姿が、哀愁や色気を漂わせていてあまりにも格好良く見えたものだから、彼の動作を目で追ってしまっただけ。
あ……それをジロジロ見る、というのかもしれない。
「……ならば、どんなつもりだったんだ?」
どうしても気になるみたいで、そんな彼に「タバコを吸う姿が格好良かったものだから」と、そう答えれば、彼は分かりかねると言いたげに呆れたような表情を見せた。
「何を言っているんだ。オレがタバコを吸うことなど珍しいことでもないだろう」
「……まぁそうなんだけど。……私、結構好きなの。瀬人のタバコを吸う姿が。それと……」
「……?」
「それと、瀬人がタバコを吸った後にするキスが」
一瞬、彼のコバルトブルーの瞳が大きく見開かれたような気がした。
そういえば……と、ふと思い出したから言ってみたけれど、なんだかキスをねだっているように聞こえるかもしれない、と言った後から思った。
「」
彼は私の名を呼ぶと豪華なプレジデントチェアから静かに立ち上がった。
ソファーに座る私の元まで来ると、先程までタバコを挟んでいた指先を私の頬へと伸ばした。彼の冷たい指先が頬を滑り、そのヒンヤリとした冷たさに思わずピクリと肩が跳ね上がる。
そして段々と近付いてくるのは彼の端正な顔。影でその表情は上手く読み取れないけれども、彼のコバルトブルーの瞳は相も変わらず透き通る氷のようで、見惚れてしまう程に魅了する色だった。
そんなコバルトブルーの中に映るのは私自身。
「……」
低く掠れた低音が私の名を囁く。
どこか甘さを含んだ艶やかなその声に思わず胸が大きく高鳴った。そしてその直後、唇に触れた柔らかい感触。
重なるふたつの唇。鼻腔を掠めたのはタバコの匂い。
少し乾いた互いの唇は、啄むように重ね合わせる度に潤いを取り戻していく。
「んっ……」
彼の生温かい舌が私の唇を割り、口内へと侵入してきた。
タバコの味がした。口いっぱいに広がる苦さの中にほんの少しの切なさを感じさせる、そんな味。
そして彼の舌が私の舌を捉えると、ねっとりと絡ませてきた。蕩けてしまいそうになる程の荒く熱い彼のキスは私の頬を紅潮させ、身体を震わせる。
ピチャピチャと、互いの唾液が口内で躍る音と二つの熱い吐息が静かな部屋に響く。……そんな深いキスに段々と息苦しさを覚え始め、それを訴えるように彼の凛々しい胸板を叩く。
すると、彼はゆっくりと私から唇を離した。
「っ……はぁ、突然どうして……」
「さぁ、何故だろうな。……貴様が『好き』と言ったからではないか?」
そう言って彼は瞳を伏せると私から視線を逸らした。
ふと気になって、プレジデントデスクに置かれたガラスの灰皿に視線を向ける。彼が2、3口吸っただけのタバコは、きっとガラスの灰皿の中で燃え尽きて灰になっているのだろう。
紫煙
(20170930)