知らないふりが上手くなった

「瀬人、今日の分のプリント持ってきたよー!あ、ごめん、仕事中だった?」

橙の空を濃紺が呑み込み始め、日が沈みかけた頃、軽いノックの後に部屋に入ってきたのは童実野高校の制服を纏った恋人の姿。
が、パソコンのキーボードを叩くオレの姿を見ると、帰ろうと踵を返そうとするので「いや、もうすぐで終わる。気にするな」と、近くのソファーに座るように促す。そして今日は何があったのか、と問えば、嬉しそうにオレに笑いかけながら話を始めた。

こうして学校で配布されるプリントやらをこいつが届けに来るついでに今日の出来事をオレに報告していくのがオレたちの日課になりつつあった。
退屈な授業の内容から返却された散々な小テストの結果、そして自分で作ったという弁当の中身、それから……

「そうか。で、他は……?」
「それでね、今日学校で遊戯くんが……」

遊戯。
そう、遊戯の話題だ。
キーボードを叩く指先には自然と力が籠る。それを隠すようにテーブルに置かれたコーヒーカップを手に取ると、一口中身を啜った。口内に広がるコーヒーの苦味が何とも言えぬこの感情を流してくれるかと思ったが、全くそんなことはなく。
仕方なく再びパソコンに集中した。





ふとパソコン画面から視線を逸らすと、満面の笑みを浮かべながらまだ遊戯の話をしている此奴が目に入る。
その瞳は何処か潤み熱で浮かれているようで、遊戯がそうさせているのかと思うと胸が悲鳴を上げた。

恐らく……此奴は遊戯のことを好いている。
きっと此奴自身は無自覚なのだろうが、オレには何処か確信があった。

「でね、遊戯くん、今度私にパウンドケーキ作ってもらいたいって!」
「……そうか」

口を開けば、遊戯、遊戯、遊戯……
返事はしてみたものの遊戯の話の大半はこの耳に入ってはいない。聞きたくもない。
沸々と腹の中で何かが煮え滾っていくのが、嫌というほどに分かる。だが、遊戯の話題も両手足の指では足りないくらいに繰り返されてきたのだ。腹の中がいくら煮え滾ろうが煮え繰り返ろうが、もう平静を装うことは容易い。



「ねぇ、瀬人もパウンドケーキ食べたい?」
「……そうだな、貴様の作るパウンドケーキには興味がある」

分かっていながらオレは知らないフリをしているのだ。
もし、遊戯のことをどう思っているのか、と問いただしたところでオレの気持ちが晴れることはないだろう。
苦しかろうとも、胸が張り裂けそうになろうともオレにはこの今を壊す勇気がまだないのだ。
それでも、遊戯よりオレをまだ好いてくれているはず、と淡い期待を抱きながら、いつかやってくるであろう終わりが来るその時まで、こうして知らないフリだけが上手くなっていくのだろう。






○診断メーカー、お題
海馬くんへのお題は『知らないふりが上手くなった』です。
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(20180508)